「版画家・アーティスト」 松林誠
自然豊かな高知を拠点に植物や生き物、素朴な風景を色彩豊かに表現する版画家であり、ペインティングや挿絵、アートワークなど多種多様な創作活動をされている松林誠さん。2023年4月、 evam eva yamanashi の空間に合わせて描かれた作品展を開催いたします。
3月のはじめ、暖かな日差しに恵まれた日に松林さんのアトリエに伺いました。
のどかな住宅街の一角にあるアトリエを兼ねたご自宅は平屋の日本家屋で、欄間窓や天井の意匠に丁寧に受け継がれた家であることがうかがえます。壁や棚には自身の作品や愛着のあるコレクション、想い出の写真が飾られ、好きなものに囲まれた心地よい空間にカチカチと刻む時計の音が静かに響き、ゆったりとした時間が流れていました。版画家としての軌跡や制作に対する想い、山梨の個展について、お気に入りの場所にも訪れ、お話を伺いました。
版画に魅せられて
「高知で生まれ育ち、幼少期から絵を描くことがすごく好きでした。小さい頃の夢は漫画家。漫画家になるために高校では漫研に入り、ペン先に墨汁をつけて、カリカリと紙に漫画を描いていました。絵の仕事をしたいなと思っていたので、漠然と美大へ行こうと思い予備校に通いましたが、受験に必要な石膏デッサンには全く興味が湧かず。受験生がびっしりといる中でデッサンする光景に、これは無理だなと感じ、大学には進学しませんでした。当時、東京の国立にあった版画だけの専門学校、創形美術学校へ入学し、エッチングという銅版画に出会いました。エッチングは金属版を削りながら線を描く技法で、その線と金属を削る表現がすごく自分に合っていたんだと思います。そこから版画の道を志しました。」
「在学中の21歳になる1983年、スネークマンショーの桑原茂一さんが企画した公募展に作品を出展し、自分の絵がDMに選ばれました。それが作家になる始まりですね。地方から出てきて自分の絵を認められたい、知って欲しいという気持ちがすごく強かったので、人と違う表現技法をしたいと思い、ビニールにペンキで描きました。21歳の自分が表現したい絵はまさにこれだ、と確信を持てた作品です。」
「専門学校を卒業してからは、アルバイトをしながら作品を制作しては発表していましたが、版画は機材や薬品をたくさん使うので、東京の下宿先で制作を続けていくのは困難でした。上京から9年後、高知の実家へ戻り、版画家として本腰をいれる決意をしました。そのまま地方に埋もれていきたくないという思いもあって、イラストレーション the Choice というコンペへ作品を出展していました。作品を出し続けてから3年目で大賞をいただきました。」
「賞を受賞した後は、展覧会のお話をたくさんいただきました。今思えばいいことなんですが、そのときは積極的に展覧会をするという気持ちではありませんでした。自分で個展をやりながら、版画だけを発表し続けました。高知で暮らすようになって色を使う作品が増えましたね。学生の頃の版画はモノクロだけしかつくったことがありませんでした。」
若い頃の強い印象の人物画と高知に戻られてからの作品とでは、少しずつシンプルに、モチーフも植物や生き物などより身近なものに。時代とともに変化し続ける松林さんの軌跡が見て取れるかのようです。自由でおおらかな線は昔も今も変わらず、見る人の心を惹きつけます。
高知に戻られてから由味子さんと出逢い、1991年にご結婚。海外で暮らしてみたいという気持ちもあって、1999年11月の終わり頃に2人でパリへ行くことに。松林さんが卒業された創形美術学校ではフランス・パリのシテ・デザールという、音楽・絵画・彫刻などの分野の芸術家にパリでの活動のための滞在施設があり、縁あって一年間暮らすことになります。
「海外へ行くことが決まってから、奇跡的に月刊誌の表紙の仕事も決まり、施設には版画の工房が併設されていていたので制作をしながら、パリを拠点にいろんな町へ旅をしつつ過ごしました。とても充実した1年でしたね。帰国したら高知にあるセブンデイズホテルのオーナーの川上絹子さんから新館のホテルの部屋に飾る版画を制作してほしいとお話をいただきました。」
「そしてその絵をもとに『 Room 』という作品集を制作していただきました。この作品集の存在もすごく大きいです。この本がいろんなところへ羽ばたき、展覧会を開く機会を大勢の方からいただき、今に繋がる方々との出逢いをつくってくれました。」
それからの松林さんの活動は多岐にわたり、漆作家の赤木明登さんの漆器に有機的な線や形を漆で描かれた作品や岡山にある吉田牧場のパッケージデザイン。セブンデイズホテルでは、外壁や客室など館内のいたるところに松林さんの様々なアートワークが観られます。
奥様の由味子さんも美術講師として教鞭をとられていて、ご家族としてもアーティストとしても良き理解者であることがお話のなかからうかがうことができました。
好きな場所
松林さんと一緒に訪れたのは、牧野植物園。高知市五台山の山頂にある牧野植物園は、高知県出身の植物分類学者である牧野富太郎ゆかりの植物をはじめ、野生の植物を中心に3000種類以上の様々な植物を鑑賞することができます。松林さんにとっては幼稚園の頃から訪れている昔からある場所。お馬路と呼ばれる小川に沿った小路を抜け、さらに奥へ進むと、泰然とした姿の大木がある静かな場所に到着しました。
「ここは僕のお気に入りの場所の一つ。このタイサンボクの木が好きなんです。どうしても家での作業が多くなってしまうので、外へ出て気持ちを切り替えるようにしています。この木の絵も何枚か描きましたね。この木を見て、絵を描いているとなんだか心が落ち着きます。」
「昔から自然が身近にあって、特別なものとしてではなく普段の生活の中に当たり前にありました。夏暑くなったら部屋を涼しくするのではなく、川で泳いだり、海に潜ったり。春先には蕨をとりに山へ入り、もうちょっとしたら筍をとって頂く。そんなふうに愉しみながら、自然とともに暮らしています。」
幼いころから豊かな自然を通じて、松林さんの自由な感性が育まれてきたのだと感じました。自然から受ける感覚や感情を直感的に描き、のびやかでおおらかな作品が生みだされる。自然の中で見せる松林さんの表情は、 とても穏やかでした。
第0回展覧会のこと
数年前に松林さんと高知で出会い、一昨年の初夏、旅の途中で山梨に立ち寄られた際、ギャラリーの壁いっぱいにドローイングをしてくださいました。
「ギャラリーの大きく切りとった窓からの光、白い空間と夏の日差しがロザリオ礼拝堂のことを想いだしました。上京したばかりの頃に東京で開催されたマティスの展覧会で作品を観てから、マティスのような絵を書きたいとずっと思っています。最小限の線で踊りだすような、おおらかさ。結婚した年、初めての渡欧で妻とロザリオ礼拝堂を訪れ、時間によって光の表情がどんどん変わる様子をずっと見ていたくて、1日中いましたね。あのときのロザリオ礼拝堂で感じた空気感や光と山梨の土地の力みたいなものを感じながら壁画を描きました。本当に忘れられない幸せな時間でした。」
線と線がどんどん繋がり、展示作品までも絵の中に取り込んで、あっという間に描かれました。壁の修繕のこと、マティスのこと、さわやかな光と風。それを感じ話すことがなければ起こらなかった奇跡のような出来事は私たちにとっても貴重な体験でした。その10日後、壁画を残す形で上から新しい壁をつくりました。
わずか数日の壁画の展示、それが始まりの始まり、第0回展覧会となりました。
絵を詠むように
「今展ではシルバーが一つのテーマとなっています。山梨のギャラリーはすごくおおらかで、光がとても綺麗な空間だったので、銀をメインカラーとして構成しています。新作とこれまでの作品を織り交ぜながら、銀の花シリーズも展示しようと思っています。」
DMに選ばれた作品は何を想って描かれたのか。文字であることは分かるけれど、何かと繋がり合って、でも何かよくわからない曖昧さ、言葉の意味にとらわれない感じ。人がいて、お家があって、集合体のようにも見えてきます。
「そのときに頭に浮かんだフレーズ、言葉を描いています。最初に言葉の絵を描き始めたのは、東日本大震災で多くの町が被災されたことを新聞で知り、町の名前を絵に残そうと思ったのが始まりでした。それぞれが好きなように言葉を探して見てくれるのが面白くて。絵を観るんじゃなくて絵を詠むような感覚に触れられるようで。」
ほぼ毎日、日記のように描かれているスケッチブックには、身近なもの、触れ合っているもの、印象にある記憶、空想が描き記されていました。線、色、ときには言葉が自由に描かれ、頁をめくるたびに楽しい気持ちになり、見ているこちらも心がほぐれ、和みます。
ある日の頁に残されていた 『エヴァム エヴァ』に添えられた『森』という言葉。山梨での個展に想いを巡らされた時間だったのでしょうか。月日が経ち、松林さんから届いた個展のタイトルは『森の言葉』。
木々の芽吹き、窓からの光、初夏の風を感じ描いた壁画。今は壁の下に眠っていますが、そこに新たな作品 ‘森の言葉’ たちが重なります。
evam eva yamanashi exhibition
松林誠 個展 「森の言葉」
日程|4.8(土)– 5.8(月)*水曜定休
日時|11:00 – 18:00 *最終日17:00close
在廊|4.8(土)
会場|evam eva yamanashi 形
詳細はウェブサイトをご覧ください。
https://evameva-yamanashi.jp
今展に合わせて制作したストール。染められた生地の色を抜くことで、生地との色差を生み出す抜染という方法で、コットンシルクのしなやかな生地に松林さんの言葉の絵が映し出されています。限定ストールは、会期初日より山梨店にて販売予定。
素肌に心地よいさらりとした質感のベーシックなコットンシャツに、しなやかで上品な風合いのパンツを合わせて。
松林さん | E231T136 shirt ¥29,700
[ 版画家・アーティスト ]松林誠
1962年高知県高知市生まれ。創形美術学校研究科版画課程修了。パリ国際芸術会館に一年間滞在し活動後、セブンデイズホテルプラスでのアートワークをはじめ、国内外で展覧会を開催している。
website|http://makotoprint.com
instagram|matsubayashimakoto
Interview|Drawing and living
「Printmaker・Artist 」 Makoto Matsubayashi
Based in Kochi, a region rich in nature, Makoto Matsubayashi is a printmaker who expresses plants, creatures, and simple landscapes in rich colors, and is involved in a wide variety of creative activities including painting, illustration, and artwork.In April 2023, we will hold an exhibition of works painted to fit the space of evam eva yamanashi.
We visited Mr. Matsubayashi’s studio on a warm sunny day in early March.
The house, which also serves as an atelier, is a one-story Japanese-style house located in a peaceful residential area, and the design of the transom windows and ceiling shows that the house has been carefully passed down through generations. The walls and shelves are decorated with his own works, his beloved collections, and photos of his memories. The ticking clock quietly echoed in the comfortable space surrounded by his favorite things, and time passed leisurely. We visited some of his favorite places and talked with him about his path as a printmaker, his thoughts on his work, and his solo exhibition in Yamanashi.
Fascinated by prints
“I was born and raised in Kochi and have loved drawing since I was a child. I wanted to work in drawing, so I went to a preparatory school with the vague idea of going to an art college, but I had no interest in plaster sketching, which was required for the entrance exam, so I did not go on to college. I enrolled in Soukei Academy of Fine Art & Desigh School, a printmaking school in Kunitachi, Tokyo, where I was introduced to etching, a copperplate engraving technique. Etching is a technique of drawing lines while cutting metal plates, and I think the lines and the expression of cutting metal suited me very well. From there, I decided to pursue printmaking.”
“In 1983, when I was 21 years old and still in school, I participated in an open competition organized by Moichi Kuwahara of the Snakeman Show, and my drawing was selected for the DM. That was the beginning of my career as an artist, and I was convinced that this was exactly what I wanted to express as a 21-year-old.”
“After graduating from a technical college, I worked part-time while creating and exhibiting my works, but printmaking requires a lot of equipment and chemicals, so it was difficult to continue working at my lodgings in Tokyo. Nine years after moving to Tokyo, I returned to my parents’ home in Kochi and made the decision to devote myself to printmaking. Not wanting to remain buried in the countryside, I entered my work in a competition called Illustration the Choice. After three years of submitting my work, I won the grand prize.”
“After winning the award, I received many offers for exhibitions. Looking back on it now, it is a good thing, but at that time I did not feel like actively doing exhibitions. I continued to present only prints while doing my own solo exhibitions. I started to use color more when I started living in Kochi. When I was a student, I only made black-and-white prints.”
Comparing the strong impressionistic portraits of his youth with those of his works since his return to Kochi, he has gradually simplified them and changed the motifs to more familiar ones such as plants and living creatures. It is as if we can see the trajectory of Matsubayashi’s work as it continues to change with the times. The free and generous lines of his drawings are the same now as they were in the past, and they continue to attract the viewer’s attention.
“After I decided to go abroad, I miraculously got a job on the cover of a monthly magazine, and since the facility had a printmaking studio attached, I spent some time in Paris traveling to various cities while working on the project. When I returned to Japan, Kinuko Kawakami, the owner of the Seven Days Hotel in Kochi, asked me to create prints to decorate the rooms in the new hotel wing.”
“And she produced a book called “Room” based on those prints. This book is also very important to me. This book has spread my work to many places, and many people have given me opportunities to hold exhibitions, creating encounters with people that lead me to the present day.”
Since then, Mr.Matsubayashi has been involved in a wide range of activities, such as he paints organic lines and shapes in lacquer on lacquerware by Akito Akagi, a lacquer artist, and package design for Yoshida Farm in Okayama, Japan. At Seven Days Hotel, his various artworks can be seen on the exterior walls, in guest rooms, and throughout the hotel.
His wife, Yumiko, also teaches as an art instructor, and we learned from their conversation that they are good friends as a family and as an artist.
Favorite place
Located at the top of Mt. Godaisan in Kochi City, it offers more than 3,000 varieties of various plants, mainly wild plants, including those related to Tomitaro Makino, a plant taxonomist from Kochi Prefecture. For Mr. Matsubayashi, it is an old place that he has visited since kindergarten. Passing through a path along a stream called “Oumamichi,” we went further in to a quiet place with a large tree with a majestic appearance.
“This is one of my favorite places. I like this taisanboku tree. I tend to do a lot of work at home, so I go outside to refresh myself. Seeing this tree and painting somehow calms me down.”
“Nature has always been close to me, not as something special, but as a natural part of my daily lives. When it was hot in the summer, we would swim in the river or dive in the ocean instead of cooling off in our rooms. In early spring, we would go into the mountains to pick warabi (bracken), and in a little while, we would pick bamboo shoots to eat. I enjoy living with nature in this way.”
I felt that Mr. Matsubayashi’s free sensibility was nurtured through the abundance of nature since he was a child. Mr. He intuitively depicts the sensations and emotions he receives from nature, creating works of art that are spontaneous and generous. The expression on Mr. Matsubayashi’s face when he was in nature was very peaceful.
The 0th exhibition
Matsubayashi several years ago in Kochi, and when he stopped by Yamanashi during his trip in the early summer of the year before last, he filled the walls of the gallery with his drawings.
“The light from the gallery’s large cut-out windows, the white space and the summer sun reminded me of the Chapel of the Rosary. Ever since I saw Matisse’s work at an exhibition in Tokyo when I had just moved to Tokyo, I have always wanted to paint like Matisse’s. His paintings have a generous quality, as if dancing with minimal lines. The year I got married, on my first trip to Europe, my wife and I visited the Chapel of the Rosary, and I spent the whole day there because I wanted to keep looking at the way the light changed with the passage of time. I painted the mural while feeling the atmosphere and light I felt at that Chapel of the Rosary and the power of the land of Yamanashi. It was a truly unforgettable and happy time.”
Lines and lines connected more and more, and even the exhibited works were incorporated into the painting, which was painted in no time at all. We talked about the repairs to the walls, Matisse, the fresh light and wind. It was a miraculous event that would not have happened without feeling and talking about it, and it was a precious experience for us. Ten days later, a new wall was built from the top, leaving the mural in place.
The exhibition of the mural, which lasted only a few days, was the beginning of the beginning, the 0th exhibition.
As if reading a drawing
The gallery in Yamanashi is very spacious and the light is very beautiful, so I have chosen silver as my main color. I am going to show a series of silver flowers, mixing my new works with my past works.”
What was on your mind when you drew the work selected for DM? I can tell that they are letters, but they are connected to something else, but I can’t quite figure out what it is, a feeling of ambiguity, a feeling of not being bound by the meaning of the words. There are people, there are houses, and it looks like a collective.
“I draw phrases and words that come to my mind at that time. I first started drawing pictures of words when I learned in the newspaper that many towns were affected by the Great East Japan Earthquake, and I wanted to leave the names of the towns in my drawings. It was interesting to see how each of them looked for words as they liked. It was like getting in touch with the feeling of reading a drawing instead of just looking at it.”
The sketchbooks, which were drawn almost every day like diaries, were filled with drawings of familiar objects, things they came into contact with, memories that made an impression on them, and his fantasies. The lines, colors, and sometimes words were freely drawn, and each turn of the page brought a joyful feeling to the viewer, who also felt relaxed and at ease.
The word “forest” attached to “evam eva” left on a page one day. It must have been the time when he was thinking about his solo exhibition in Yamanashi. Months passed, and the title of the exhibition that Mr. Matsubayashi sent to us was “Words of the Forest”.
A mural painting that he painted with the feeling of budding trees, light from the window, and the early summer breeze. Now they lie dormant under the wall, but new works, “Words of the Forest,” will be added to them.